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ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

学習法のヒント

というわけで、「自分の論理を採り入れた、自分の経験」についてお話しする。手前味噌ではあるが、「成功した(というか、「しそうな」)ダイエット体験記」みたいなものだと思って参考にして下さい。

前に述べたように、会話例の録音されたCDのある教材を使って音声中心で練習することを主眼にしている。

(1)まず、新しいユニットを聞くときは、何も見ない。
そもそも「家でお勉強」ではなく、「歩きながら」を基本にした。ちなみに、ダイエットやエクササイズも兼ねて、天気が良ければ基本的に少し早めに家を出て1駅分を歩くことにしている。約1時間かかるが、公園を経由するので、公園内では自然の音を楽しみたいから何も聞かない。よって正味30分ぐらいがポルトガル語会話を聞いている時間である。ときには、ライブのために新しい歌を覚えなければならないので(これもポルトガル語だが)会話の勉強は10分ぐらいのときもあるが、できるだけゼロにはならないよう毎日触れる。あまり人の通っていない道なので、ごくごく小さな声でなら、あるいは「口の中で」なら話す練習もできるのだ。
話を戻すが、とにかくまず「見ないで聞く」ことが大事。そのココロは、まず「見ないでどれくらい分かるか」試してみることにある。これが慣れてくると意外に聞き取れるようになってくる。実際英語を取得するときも、NHKのラジオ放送を利用して同じことをやったのである。最初の頃は初めて聞いたときにはちんぷんかんぷんだったものが、トレーニングを重ねるに連れ、初めて聞いたものでもなんとなく分かるようになる、という「実感」が得られ、それが大いに励みになったのだが、今回もすでにその励みを得ていて、新しいユニットをワクワクする気持ちで聞いている。そして
「おー。だいたい分かるじゃーん。あたしって、天才!」
とひとりで悦に入っているのだ(^_^;)。

「見ないで聞く」ことはそのように、ゲーム的なモチベーションを創る効用もあるのだが、実際的にも、発音やイントネーションの訓練になくてはならない。たいがいの人は、リスニング練習ではない会話の練習と言うと、まずテキストを開いて「見ながら聞く」。そうすると、発音もイントネーションも「分かった気」になってしまう。だが実は全然分かっていないのだ。これも前に書いたが、日本人は文字情報にものすごく強いため、それ故に、文字情報に頼りすぎる傾向がある。文字情報に頼ると、耳からの情報を無意識に軽視(軽聴?)してしまうのだ。CDで聴いて(あるいは教師が読んで)それをリピートするという練習をしているはずなのに、多くの人が、聴いたとおりに読もうとはしない。「見たとおりに」読むのだ。なまじ中学高校で読む練習をさせられていたが、それが日本人的発音やイントネーションだったりすることも非常に多い(最近の若い人は比較的正しい音声情報を得ているとは思うが)。
だが、「見ないで聞く」を先にやれば、たとえ聞き取れなかったとしても、だからこそ「正しい音」に意識が集中する。
「分かるまで聞く」必要はない。何回か「見ないで聞い」て、分からなければギブアップしていい。そして、そこで初めてテキストを確かめるのである。おそらく「ああ!そうか!」と思うはずだ。この経験が非常に大事。そもそも「分からなかったことが分かる」のが人間にとっては本質的に「楽しい」体験であるからこれもやっぱりモチベーションに繋がるし、それにインパクトをもって頭に入れたことは忘れにくい。
自分のことを言えば、そのポルトガル語のテキストはけっこうシビアで、最初は英語でHow are you? にあたるような挨拶から始まるのに、どしどし難しくなり、全部で55ユニットで、最終的には英語で言う「仮定法過去完了」なんてのもでてきて「もしあなたに出会っていなかったら、私は今頃何をやっていたでしょう」なんて文(ちなみに、ラブレターの一節である)までカバーしたが、だいたいの意味は1回で分かるようになっていた。
もっとも発音については、私は今まで歌を歌ってきて鍛えられた部分もある。これまた英語の時と同じ経緯なのであるが、お気に入りの歌を歌って発音練習、というのはやっぱり強力オススメ!!!


((2)何度も繰り返し繰り返し、一緒に口に出す。
前述のように通勤がてらの散歩をしながら聞いているので、そうそう大きな声で練習するわけには行かないが、ボソボソとついて言うことは可能だ。そして、散歩時間以外の勉強時間は、お風呂タイムである。お風呂には音源は持ち込まないが(だが最近は防水CDプレーヤーなどもあるので持ち込むことも可能だ)、本は持ち込み、お風呂に浸かりながら練習する。
音読練習にはいろいろなパターンがあることは前項で書いた。が、ただ単に「シャドウイング」しているときも、意味を考えながら集中しているときもあるが、散歩中他のことに気を取られていることもある。そういうときも、耳と口だけは練習している。でも意味は全く考えていない。単なる「反射」で、それはそれで必要だと思っている。
それから、ときには音源は止めて、自分で思い出しながら一連の会話を再現する練習もする。「単なる音に反応する練習」、「意味を考えながら一緒に言う練習」、「意味を考えて再現する(暗記しておく)練習」、「テキストを見て読む練習」、など、適当にその場に応じてやる。


((3)ユニット1が終わってからユニット2,という進め方をしていない。
いやもちろん順番にやってはいるのだが、ユニット1が完成しないうちにユニット2にも行ってしまう。けれど、必ずユニット1に戻ってくる。こうして、5つぐらいのユニットを並行して行ったり来たり。きょうは1~5、あしたは2~6、その次は3~7というように、シャクトリムシのようにループしながら少しずつ前に行く。
このことの利点は、「飽きない」ことである。どんどん先に進みたい衝動も満足する。先に進んでから前に戻ると、こんどは「分かっている」安心感がある。一連の会話はせいぜい2~3分なので、4~5ユニット分、それも繰り返し繰り返し手を変え品を変え練習したとしても、30分あればけっこうできる。この方法で、3ヶ月ぐらいで55ユニットを一応カバーしたが、最初の方のユニットはちゃんと覚えている、繰り返しやったからね。というか、今でもやっている。

ものすごく一生懸命やっているように聞こえるかもしれないが、せいぜい1日30分、飲んだくれて遊び歩いている週末はサボる。天気が悪い日もサボる(散歩できないから)。最近は電車の中ではついつい携帯電話にダウンロードしたゲームの方に熱中してしまい、そればっかしだ。つまり、かな~り「テキトー」にやっているのである。けれど、何度も言うようにこれ自体が「楽しい」からそれなりに続けていける。

もうひとつ「続けられる要素」は、「野心」である。いっちょやったろか、という気分。もちろん自習だけでは話せるようにはならないが、現在取り組んでいるその本を、さらに繰り返し繰り返し練習して半年ぐらい、その後はちゃんとだれかブラジル人の先生を見つけて、実践的に会話をしてみようと思う。で、約1年で、ペラペラとまではいかないにしても、
「ポルトガル語? うん、まあ少しは」
と言えるぐらいには、なったろうじゃないか!…と自分で「目標」(?)を設定したのだ。

「テキトー」とはいえ、それなりのリキも入っている。繰り返しになるが、手応え(上達実感)が得られればやる気も出てくるし、やる気をもってそれなりにやればさらに手応えも得られる。好循環に入ってしまえばこっちのもので、その好循環に入るまでは、ちょっとだけでも「集中して一生懸命」やることはやっぱり大事だ、と言いたい。

上記の方法は本当に効果がある。それはかなり実感している。
歌を歌ってきたということもあり、ポルトガル語の単語を全く知らないわけではないが、それが会話としてさっと出てくるというのは難しい。これは多くの方々の英語と同じことだと思う。中学高校で接してきて、たとえ苦手だった人でもある程度の知識はあるはずだが、「出てこない」。

だが、何度も文章を繰り返して言って、正当なリズムをもって覚える、という方法は、そういう状態を徐々に改善してくれるようだ。
ある文を覚えてそれを繰り返し口にしていると、それを元にして応用した文も、あっさり出てくる。不思議なのは、単体では思い出しにくい単語も、文の中には組み込まれて比較的簡単に思い出す。なんだか、「循環」がよくなっていて、沈殿していたものもワッサワッサとかき回されて上の方に浮かんできたという感じなのだ。

自分の体験からだけではなく、理屈で考えても、この、「文をとにかく暗記してスムーズに口から出るようにする」練習は、とりわけ日本人には有効なはずである。

繰り返し書いてきたが、英語と日本語の決定的な違いは、「英語は文型がイノチ」ということである。日本語は、名詞に「テニヲハ」をつければ、それを適当にくっつけていけばどうにかなる。「動詞の活用」は面倒だが、文の構成自体は比較的楽である。だが英語は全くその逆で、動詞活用は単純なのに、その分、文型がものをいうのである。
ということは、つまり、「文型」をモノにしなければどうにもならない。そのためには、例文を覚えて行くしかないのだ。文型を、たとえば「主語+動詞+目的語~」なんて覚えようとしても、まどろっこしいだけだ。典型例をリズミカルに覚えてしまえばすむことなのである。


文が口をついて出るようになれば、応用も楽だ。上述のように、単語も思い出せるようになる、というのは考えてみると当然である。文型を口に覚えさせてしまって、無意識にそれが出てくるようになれば、文型自体を思い出すことに余計なエネルギーを使わなくなり、余ったエネルギーが「単語を思い出すこと」に向かう。「簡単な単語すら思い出せない」というのは、そもそも、そこまでエネルギーが残っていないのだ。英語をしゃべろうと思うと、本能的に、文型をどうにかしなければ!という気持ちの方が先に立つ。そこでまず「消耗」してしまうのである。
日本人はとくにそうであるかもしれない。つまり、「ちゃんとした文を作らなければ」と気負って、「ま、単語並べりゃ通じるだろう」と開き直ることもできない。

矛盾に聞こえるが、意外に、そのくらい開き直ってしまっている人の方がコミュニケーションは上手だったりする(ただそれではなかなか英語自体「上達」はしないのだが)。しかし、これはそれこそこの一連のエッセーを書いている「動機」なのだが、「開き直る」ことのほうがむしろ難しいので(恥ずかしがりの性格を変えろ、ってことであるから)、ちゃんと「トレーニングをして自信を持つ」ことのほうが先ではないかと思うのである。


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